キッコーマンもうけの7割は海外
名誉会長が語る日本の味「しょうゆ」が世界に広がったワケとは?
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食品の輸出だけでなく、その先を見据えている企業さんは、過去の成功例を学ぶことは大切です。
キッコーマンもうけの7割は海外
名誉会長が語る日本の味「しょうゆ」が世界に広がったワケとは?
この記事は産経ニュースさんのこの記事をご紹介しています。
キッコーマンさんはこうやって海外で認知されていなかった醤油を売られて海外市場の攻略を進めてこられてきました。
まずは、記事の紹介です。以下、記事の転載です。
創業350年以上の歴史を持つしょうゆ最大手のキッコーマンは今年、株式会社化100年、米国法人設立60周年を迎えた。
同社は、日本独自の調味料だったしょうゆを海外で積極的に販売してきた。
平成28年度のキッコーマンの海外売上高比率は57%と過半を占め、本業のもうけを示す営業利益の72%を海外で稼ぐ。
特に米国がその牽引(けんいん)役だ。米国工場の立案など、海外事業を強化してきた茂木友三郎名誉会長(82)は産経新聞のインタビューに応じ、「海外進出は企業が脱皮するチャンス」と強調。
国内市場が縮小する中、日本企業は海外に活路を見いだすべきだと持論を唱えた。
--売上高の過半が海外というのは意外でした
「日本でのしょうゆ販売が伸び悩み始めた昭和30年代、新たな成長戦略として米国進出が進められました。
終戦直後は、しょうゆを作れば作るほど売れる状況でしたが、終戦から5~6年たつと、成長スピードは急激に落ちました。
当時、他の産業は、池田勇人内閣による『国民所得倍増計画』などもあって2桁成長でしたが、各家庭で使うしょうゆの量は決まっています。
しょうゆの需要は人口の伸び程度の増加にとどまっており、当時の経営陣も『このままでいい』とは考えていなかったようです」
--その対策が米国進出ですか
「成長戦略には大きく多角化と国際化の2つがあります。
多角化として(トマトケチャップなどを扱う)日本デルモンテ、(ワインを手がける)マンズワインを設立したり、しょうゆの発酵技術を使った酵素を医薬品原料として販売したりしていました。国際化では米国への輸出も始めました。
しょうゆが米国でも売れるという思いは強かったです。
戦後、多くの米国人が日本にきました。彼らは、日本人に交じって生活し、日本料理にしょうゆを使うことを覚えました。
肉料理に合うことを知り、洋食にも使えることを知りました。そこで、32年に米国西海岸に販売会社をつくり、本格的な輸出に乗り出しました。
日本からの移民だけでなく、米国人をターゲットにして輸出を始めたのです」
--米国人にもしょうゆが受け入れられましたか?
「米国では、しょうゆは肉料理に合うことをアピールしました。
それまで、ステーキの味付けは塩とコショウしかなかったのですが、店頭デモなどで、しょうゆにつけておいた肉の試食を勧めると、おいしそうに食べてしょうゆを買ってくれます。
そうしたことで輸出は伸びましたが、もうかりません。商品自体の価格が安く、日本からの輸送費がかかるためで、海外事業は赤字続きでした」
--輸出より現地生産の方がコストを抑えられますね
「しょうゆは微生物の働きで原料を発酵させてつくりますが、大きな設備投資を伴います。そのため、一定の規模がなくては収益は出ない。
私は40年当時、会社の長期経営計画の策定担当者でした。長期的に見ても、米国に工場を設置することが必要だと考え、上司に提案しました。
経営陣で協議されましたが、巨額な投資が必要な上、1ドル=360円の固定相場時代。米国に本格生産拠点を持つ日本企業もなく、『時期尚早』との結論になりました。それでも赤字削減に向け、現地で瓶詰することが決まりました。
日本から貨物船で商品を運ぶよりも、しょうゆをタンクコンテナで運んで、米国内で瓶詰めする方が効率がいい。42年に西海岸の企業と契約し、委託を始めました」
--収益は改善しましたか
「赤字から収支トントンとなりました。さらに米国の需要は増えていました。そうなるとやはり現地生産が必要です。30代後半だった46年の2月初旬、米国工場建設の稟議書をつくって、再び提案しました。しかし、月に2回あった取締役会でいずれも『保留』となりました」
--最終的にどうなりましたか
「資本金36億円の会社で40億円の海外投資となれば、簡単に決められないのは当然でした。ただ、取締役会では『(主力取引)銀行の意見を聞いてみろ』との声も上がりました。
早速、担当者とともに資料を持って説明にうかがうと、2~3日で返事があり、銀行から『生産能力は計画の8割程度に』と堅実な対応を求められましたが、計画そのものへの反対ではありませんでした。
銀行が否定しなかったことが、米国工場建設の大きな要因となりました。当時、ソニーなども海外生産を検討していたようで、金融機関としてはそうした動きもみて、了承したようです。
その後の取締役会で米国工場の計画が決まりました」
--日本企業の海外生産の前例がほとんどない中、工場建設には苦労も多かったと思います
「東部か中部、西海岸のどこに工場を立地するかが課題でした。最初は西海岸が有力でしたが、私は反対でした。
1つの工場で全米を相手にするため、交通の便を考えなくてはならないことも大きな要因ですが、それ以上に、日本からの移民が多い西海岸では“親離れ”できないと感じたからです。
米国人にしょうゆに親しんでもらおうと考えるならば、西海岸はないでしょう。そうしたこともあり、候補地は中部のウィスコンシン州に決まりました。
最終的には州内6カ所から選ぶことになりました。現地視察を終え、私を含む現地調査団が、それぞれメモ用紙に最適だと考える場所を記入しました。それが私の元に集められ、1枚ずつ開いていくと、全員が『ウォルワース』で一致し、感動を覚えました」
--その後はすんなり建設できましたか
「いざ工場建設となった際、地元で反対もありました。
農地に工場を建設するため、用途変更の手続きには地元議会の審議が必要だったからです。公害への懸念のほか、地元の素朴な雰囲気を壊したくないとか、工場ができると土地の値段が上がり、固定資産税が上がってしまうことへの懸念もあったようです。
しかし、しょうゆは大豆などの農作物を原料にするため、農家とも共存でき、公害も出しません。逆に『自治体の税収は増える』と説明し、最終的に理解を得ました」
--米国工場は、キッコーマンの海外事業の基礎となりました
「48年に工場が操業し、50年には黒字化を果たしました。
やはり、『企業市民』になることを徹底することが必要です。極力、現地の人を採用し、日本から技術者などを派遣する場合でも、日本人同士は住むところを別々にして、なるべく現地の人との交流を図るなど、日常的な対応が必要です。
米国工場の経験を教訓やビジネスモデルにして、欧州やアジアでも展開しています。
欧州では54年に販売会社を設立、そして平成9年にはオランダに工場をつくりました。今や100カ国で事業を展開しています」
--海外事業を成功させる秘訣(ひけつ)は何でしょうか
「一つ一つ積み重ねてきた結果です。しょうゆは海外では知られていませんので、知ってもらうための取り組みが必要でした。店頭デモに加えて、しょうゆを使ったレシピを開発する『ホームエコノミスト』の協力などです。
経営は駆け足やジャンプすることもありますが、一歩一歩進むことが必要です。その歩幅を大きくし、同時にその歩幅に見合う筋力や企業の体力を備えることが重要です」
--最近、日本企業の海外での買収や事業の失敗がクローズアップされています
「思惑だけで取り組んだり、『エイヤッ』で投資を決めたりしてはダメです。確信を持って取り組まなくてはいけません。
また、キッコーマンクラスの企業では、現地の優れた人材を経営者として迎え入れることはできません。
ならば、日本で育てて、海外子会社に経営トップを送り込めばいいのです。そのとき重要なのは、一流のコンサルタントと契約することです。米国工場の立ち上げでは、私の友人のコンサルタントが大きな貢献をしてくれました」
--日本企業は海外に乗り出すべきでしょうか
「海外事業のリスクばかり強調される風潮もありますが、人口が減少する日本では、事業を伸ばせないし、成長もできません。海外進出は、企業が脱皮するチャンスでもあります」
キッコーマン 大正6年設立のしょうゆを主とする調味料の会社。
発祥の地である千葉県野田市に登記上の本社を置くが、現在は東京本社(東京都港区)が本社機能を担う。社長は堀切功章氏。
昭和32年に米サンフランシスコに販売会社を設立、48年に現地生産を始めた。現在は欧米やアジアなど海外に7つの生産拠点を持ち、同社のしょうゆは世界100カ国以上で愛用されている。平成29年3月期の売上高は4021億円、本業のもうけを示す営業利益は328億円(ともに連結)。
以上は産経ニュースさんの記事の転載です。
ここから学べることですが、
(1)海外で認知されていない商品を売るのは大変なこと
(2)海外事業は大きな可能性を秘めていること
(3)海外進出の最終形は海外にいくつか工場を作り世界で売ること
(4)販売に力を入れられていること
(1)海外で認知されていない商品を売るのは大変なこと
醤油という調味料はもともと世界では全く認知されていない日本独自の調味料でした。
それをメニュー提案や試食に力を入れられて普及をされたことは素晴らしいことであり、とても参考になります。
海外で認知されていない食品を海外で売るのは本当に大変なことです。
何も作戦も対策も考えずに日本で売っている商品、それも海外で認知されていない商品を日本のパッケージのまま海外に売りつけようとされている企業さんには本当に勉強をしていただきたいです。
既に認知されている商品と認知されていない商品では海外に売っていくのにそのハードルの高さ・難易度が全く異なります。
例えば、お菓子と言えば世界中お菓子です。どこでも認知されています。
青汁やフリカケなど、そもそも海外では全く食べられていない商品は全く海外では認知されていません。
その商品がいったい何なのか、そもそもそこから説明する必要があります。既に知られている(認知されている)商品と認知されていない商品を売っていくにはそれだけ認知してもらうことに労力を使う必要があるので輸出するハードルが上がります。
マレーシアでは「サンバル」という全国民が大好きな調味料があります。日本なら麺つゆのような存在です。麺つゆは、どんな麺にもかつ丼や親子丼や料理調味料としても使える万能な調味料です。
サンバルもそんな感じですが例えばこのサンバルを日本に輸出しようとするとそもそもサンバルって何なのか・・・どうやって使うのか・・・日本料理にはどうすれば使えるのか・・・認知されていない商品を輸出するにはそんなことも考える必要がでてきます。
(2)海外事業は大きな可能性を秘めていること
最終的に売上の5割、利益の7割は海外で稼ぐようになるというのが最終形のようなイメージです。素晴らしい結果です。
今度、日本の食品メーカーさんの大きな希望・目標となります。
(3)海外進出の最終形は海外にいくつか工場を作り世界で売ること
海外に7か所工場を作って世界で販売するのが最終のイメージです。
ちなみにキッコーマンさんの海外工場があるのは、アメリカ、ドイツ、シンガポール、オーストラリア、オランダ、台湾、中国のようです。
世界7ヵ国くらいに工場を作れば、世界に売っていけるイメージができる事例です。因みに南米ブラジルはキッコーマンさんも歯が立たない、さくら醤油さんが大手として君臨されています。
(4)販売に力を入れられていること
子会社に食品輸出会社を設立され海外で自ら日本食品のディストリビューターをされ、日本食レストランの普及をサポートまでされています。
このインフラがこれから日本の食品メーカーさんが海外進出される際の大きな力になります。
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結論から申し上げますと、食品輸出成功のキモは「食品添加物の海外対応」と「販売期限の海外対応」です。日本と海外では使える食品添加物が異なります。海外主要18カ国で使える食品添加物の種類は平均307であり、日本は828です。日本の仕様のままでは例外規定のある国か運用ルールの厳しくない国(香港・シンガポール・マレーシア・カンボジア等)にしか輸出できません。特殊な日本の消費者向けの賞味期限をグローバルな形に修正する必要もあります。詳しくは下記から学んでください。